蒼夏の螺旋

  “頭 隠して…”
 


相変わらずの不景気だとか、
わざわざ“婚活”しなきゃ伴侶は見つからないだとか、
あんまりパッとしない風潮の中。
そんな世情であっても、
ブームとまでは言えないけれど、
知らないと“イケてない”との烙印押されそな“今時”の色々が、
早瀬を泳ぎのぼる翔魚のように、
人々の間を闊歩しており。

 “それを思えば、今年の傾向は穏健な方だったよな。”

昨年、唐突に広まった“逆チョコ”というワードがまだ健在だったのと、
やはり昨年の男女事情を象徴したフレーズ、
スィーツを愛す“草食系男子”とが微妙に影響したものか。
何も愛の告白の日だとだけ意識するこたぁない、
チョコだってむしろ女性の好物なのだしと、アバウトな風潮も定着してのこと。
自分への“マイチョコ”や、
友達同士で贈り合う“友チョコ”の方での需要が、
何とか消費の底を支えたようで。
当日が日曜だったにもかかわらず、
今年の聖バレンタインデー戦争、
各々の個人的な次元でのそれはともかく、
流通部門の乱では、何とか無難な盛況のうちに最終日の幕を下ろして。
企画したイベントの当日が、祭日や土日にかぶるのは当たり前という部署なので、
日曜出勤なんてのは今更な話。
扱うものや顔合わせのお相手が、
全くのお初という挑戦だらけの企画に比べれば、
こんな鉄板なイベントの企画を手掛けたのは、
何年振りかという懐かしさであり。

 「…ただいま。」
 「あれ? ホントに早く帰って来たんだ。」

乗換駅からちゃんと“帰るコール”をかけたのに、
呼び出しのチャイムに応じ、
マンションの玄関ドアを開けてくれた奥方の、
開口一番の言いようが“そんな”だったのは、
何も倦怠期の入り口に差しかかりかけていたからじゃあなく、

 「だってさ。今日はイベントの最終日だったんだろ?」

打ち上げにって、どっかへ寄り道して来るんじゃないかって思ってサ。
何だよそれ、Q駅から連絡したろうが。
だから、さあ。

 「そのQ駅のモールとかで、
  ビールの一杯でも乾杯して来るのかと思って。」

勿論のこと、玄関口に立たせたまんまじゃあなく。
ささ立ち話も何だから上がって上がってと促しの、
コートと手荷物預かって、寝室でのお着替えも手伝いの。
お風呂は? 後でいいのか? じゃあ晩飯だな、と。
帰宅した夫への一通りのお世話も手慣れた様子でこなしておいでの、
新妻歴ン年目、ルフィ奥様の言い分は、
成程もっともなそれじゃああったが、

 「そういうのは、同期や若いのだけのほうが盛り上がろうからな。」

今回俺がかかわったのは、指導監督って格好でだったから、と。
いつの間にやら、企画部のホープにして辣腕営業マンという肩書に、
後進への指導というお仕事まで加わったらしい、
ルフィ奥様ご自慢の旦那様、ロロノア・ゾロ氏だったりし。
厚顔無礼という間違った方向にまず向かないが、
自信と余裕に満ちた鷹揚さで、
企画のプレゼンや交渉などへと立ち向かう姿は、
成程、広範な統括を任される“監督役”にも打ってつけなのかも知れず。

 「新人監督だったからか、無難な顔触れを揃えてくれててな。」

破綻がないまま最終日を迎えられて、俺よか現場の連中の方が頑張ってたんで、
達成感に酔いたいところだろうからと、
打ち上げの足しにとカンパだけ渡して帰って来たらしい。
後はお若い方だけで…ってヤツですな。

 “お見合いの決まり文句だ、それ。”

  あれ?
(苦笑)

有能な中堅の辣腕戦士も、スーツを脱げば…ただのご亭主で。
そんな旦那様を出迎えたおり、
遅くなると思ってたなんて言ってたくせに。
キッチンには調理中のいい匂いとほわり温かい湯気の質感。
ダイニングのテーブルには、
熱油を回しかけてじわじわと揚げる“揚げ鷄”や、
甘酢ドレッシングで和えた、千切りレタスとトマトのサラダ。
芳ばしい香の立つ、ホタテのベーコン巻きバターソテーに、
春雨スープとナスの煮びたしという、
きっちり作り込まれたラインナップが並べられていて。
いつまでも新妻だと思わせるよな、
無邪気な気配・気色は保ったまんまな奥方の側でも、
そこはそれ、慣れて来てのこなれたところも多々あって。

 「きっと、女子の何人かは、え〜〜っとか言ってるよ、今頃。」

何でロロノア・チーフいないんですか?
あたし、一杯お話ししたかったのにぃって。
ちょっぴり甘いシナ作り、かわいらしく言って見せる奥方は、
そんな風に慕われているゾロなのが、ただただ嬉しいのだろうが。

 「会場でさんざん顔合わせてたし、話もしたさ。」

テーブルにつかんと腰掛けた椅子のすぐ傍、
よく冷やした缶ビールを運んで来てくれた奥方の、
細っこい胴へと腕伸ばし。
あっと言う間にひょいと捕まえると、
やや強引にお膝へと抱え上げ、

 「それよか。お前には…何か俺へ渡すもんとか無いのか?」
 「??? 何の話?」

  俺は初日に渡したぞ。
  うん、限定販売のトリュフvv

 「おれんじぴーるっていうのが入ってたのが、
  妙に後引いて美味しかったぞ?」
 「だ・か・ら。」

にっこにこで感想を語ってくださる消費者のご意見も貴重だが、

 「一応、今日が“当日”なんだがな。」

お膝の上、正確には腿にまたがらせる格好で座らせた、
相も変わらず小柄な奥方。
潤みの強い大きな眸をきょとりと瞬かせ、
なんのこと?というお顔でいるものだから。

 「…………まあ、無いなら無いでいいんだが。」

こんなものは単なる“イベント”で、
節分に豆を撒かなかったからって、
必ずしも災厄がなだれ込むってワケじゃないのと同じこと…と。
何だかとんでもないものを引き合いに持って来て、
自分を宥めかかったご亭主だったのへ、

 「うそ。ありますよん♪」

もちょっと粘ってから渡そうって思ってたのにな。
まだまだ十代で通るだろ、
すべらかな頬や表情豊かな口許をにっこりとほころばせ、
フリースのカーディガンにくるまれた腕を、
旦那様の頑丈そうな首っ玉へと巻きつけるルフィであり。

 「そんなまでがっかりするとは思わなかったぞ?」

  胸が悪くなるくらい、毎日毎日チョコの匂いに囲まれていたんだろに。
  それはそれだ。
  形だけでいいってんなら、やっぱ渡すのやめよっかなぁ。
  る〜ふぃ〜。
  判ったって、あっ、くすぐんのは反則だぞっvv

すっぽりと空いていた無防備な脇をこしょこしょとくすぐられ、
きゃははと笑った奥方が、
やっとのこと解放されての、キッチンへと戻って行って。
パントリーの中へとしまってたらしい、
真っ赤な包装紙でくるまれた小箱を“ほ〜ら”とかざす。
食事の支度が整ったテーブルに、何とかスペースを作り、
どうぞと差し出された箱を開ければ、

 「…お、マドレーヌか。」
 「ちゃんとチョコ風味なんだよvv」

卵に砂糖を振り入れながら、嵩が倍になるまで泡立てて、
それへバニラエッセンスを足し、
振るった小麦粉とベイキングパウダーを何回かに分けて入れ、さっくりと和える。
とかしバターを加えたら、貝がらの型かホイルカップへ流し入れ、
180℃に暖めたオーブンで20分ほど焼けば完成vv
ゾロへと作ったんだもの、
甘さは控えめで、ちょびっとラム酒をたらしてあるんだ、と。
それは嬉しそうに説明してから、

 「けど。」
 「んん?」

ふと、何にか気づいたように小首を傾げた奥方で。
それへ気がついた旦那様から、どした?と目顔で問われたのでと、
うんと頷いたそのまんま、

 「何でゾロ、今年に限って、何かあるだろなんて言い出したんだ?」

誕生日でさえ覚えて無いことがあんのにさ。
さっきも言ったけど、この何日かのずっと、
チョコとかバレンタインデーとか、
げっぷが出そうなほど見聞きしてたんだろうから。
もう終わったんだ勘弁なって言われてもいいって、
お腹いっぱいだろうからって、ある意味覚悟してたんだのによ。

 「しかもしかも、真っ直ぐ帰って来たくせに。」

もう堪忍とか思ってたんなら、尚のこと、
バレンタインデーの話題にはならねぇはずだろうによと。
なかなか鋭い推察をなさったらしき奥方であり。
自分の席の傍に寄せていたワゴンの上、炊飯ジャーの蓋を開け、
大ぶりな茶碗へご飯をよそいつつ、
なあなあ何でだ?という目線を向けるルフィだったのへ、

 「…そんなもん決まってんだろーが。」

ほいと受け取った茶碗と交換のよに、
やや堅物そうなお顔をますますと引き締めて見せて、

 「ルフィから好きだぞって言われるんのは、別格の別もんだからだ。」

どどーんっという効果音と、岩へと砕ける高波という背景つきで、
そういうのなら、どんだけ降って来ても 食傷も胸焼けなんてもんもせんと、
臆面もなく言い切る亭主も亭主なら、

 「な、何だよそれっ。////////」

そんな恥ずかしーこと、どんだけもこんだけも降らすもんかと、
箸を握ったままで言い返したものの。
耳まで真っ赤になったのは、
決して怒ったからじゃあないらしいルフィでもあり。

  ……あんな、ホントはな。
  ゾロが“もうバレンタインデーの話は無し”って言ったら、
  どうしよかって思ってた。

  そっかぁ。確かにまあ、俺ってそういうとこもあるからな。

大皿に盛られた揚げ鷄をむしった身。
ちょちょいと皿へ取り分けてやる所作に載せて、淡々と紡いだゾロへ、

  「………そゆとこもカッコいいんだけどな。//////」
  「おや。」

もうもう、何だよ今日はサ////////と。
またぞろ真っ赤になった奥方へ、何の話かなぁと惚けた亭主殿ではあったが、

 “今年に限ってなんで訊くかも何も…。”

キッチンのすみっこに置かれたごみ箱の、蓋の端っこから飛び出していたのが、
マドレーヌ用ケーキミックスと印刷された化粧箱やら、
ケーキ用ココア粉末と刷られたパックの外袋などなどで。

 “いかにも今日何か特別に作りましたと言わんばかりの状況だもんな。”

日頃も自分でお菓子を焼く彼だとはいえ、
新品をわざわざ揃えて手をつけるとなると、
何かしら気構えの要ったレシピに違いなく…。

 “相変わらず、判りやすいんだよなvv”

そんなところもまた可愛い…のではあるが。
単なる無邪気なんかじゃなくて、
色々あっての末、今ここに居る彼が、
そういう想いを自分へ寄せてくれるのが愛しくてたまらない。
和んだ眼差しをただただ向ければ、

 「ゾロ?」
 「ああ、いや…。」

何でもないと小さく笑い、さあ御馳走をいただこうかと、
自分も箸を進めるご亭主であり。
来月のホワイトデーも日曜か、予定が無いか確かめとかないとな。
え〜? 何だよそれ。
何だよって、お返しに決まってるじゃないか、と。
和気あいあい、楽しい団欒に二月の宵も暖まり、
そんな一景、窓辺へ覗き込んだ夜風一迅、
春も間近ですねぇと、うらやましそうに囁いて通り過ぎてった。



  〜Fine〜  10.02.14.


  *何と言いましょうか。
   このご夫婦はいつまで“新婚さん”なんでしょうかねぇ?
(笑)


めーるふぉーむvv
ご感想はこちらへ

ご感想はこちらへ**

 戻る